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INTERVIEWインタビュー
株式会社ネットワーク応用通信研究所 フェロー まつもと ゆきひろ

世界的プログラミング言語の開発者が語るエンジニアのキャリア論

自分につくれない理由はない。だからRubyをつくった

株式会社ネットワーク応用通信研究所 フェロー まつもと ゆきひろ

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ITの世界で“Matz”ほど国際的に名を知られた日本人はいないかもしれない。まつもとゆきひろ氏はプログラミング言語「Ruby」を独力でつくりあげ、30歳だった1995年にオープンソースソフトウェアとして公開。以来、世界中のエンジニアに使われ、多くのプロダクトやサービスが生み出された。今回、編集部は同氏が仕事と生活の拠点に定めている島根県松江市に飛んだ。若手エンジニアがまつもと氏のように「とがった仕事」をやりとげるには、どんなキャリアを歩めばいいのかを聞いた。

※下記はTech通信Vol.04(2016年5月号)から抜粋し、記事は取材時のものです。

正当に評価されたいなら転職するのもアリ

―「シリコンバレーと違い、国内からTech系のメガ・ベンチャーが出てこない」といわれて久しいですね。エンジニアの力量に差があるのでしょうか。

 いや、そこにあまり差は感じません。国内エンジニアの能力はシリコンバレーの人たちにひけをとらない。違いは金融の仕組みにある。あちらにはエンジニアが生み出したプロダクトやサービスに大きな資金が集まり、事業化されるシステムがあるんです。

 国内にはそれがないので、「起業して成功したい」というエンジニアにとっては不利な環境でしょう。でも、そんな志をもっているエンジニアは少数かもしれません。より大多数のエンジニアにとって問題なのは、シリコンバレーの同業者たちと変わらないスキルがあるのに、低い待遇に甘んじていること。端的にいえば、多くのエンジニアの給料が少なすぎる。

―なにが原因でしょう。

 国内企業のほとんどに、エンジニアのスキルを評価する仕組みがないことです。スキルと給料が連動していない典型例が、新卒入社のとき。「大学でプログラミング言語について研究してきた」という人でも、「PCでExcelやWordを使っています」という人でも給料は同じです。

 それから後も、年功による評価か、成果による評価で給料が決まる。成果で評価されるなら同期入社でも差がつきますが、会社の利益があがる仕事ができるかどうかは運しだいの面があります。必ずしもエンジニアのスキルアップとは連動しない。

―正当に評価されたい若手エンジニアはどうすればいいのか、教えてください。

 ひとつの方法は転職することです。「いまの勤務先では評価が低く、給料が低い。評価を高めるようなチャンスもなかなかない」という場合。転職は自己アピールのまたとない機会であり、新しい企業では、これまで磨いてきたスキルが正当に評価される可能性があります。

 私自身はこれまでに2回、転職しています。いずれも給料を上げることが目的だったわけではありませんが、下がることはなかった。

理不尽なことは受け入れない社内でひとりカジュアル姿に

―転職歴が多い人材を低く評価する風潮があります。そのため転職に二の足を踏む人も多いと思います。

 IT業界は比較的転職に寛容ですし、「数ヵ月で転職しました」とかいうようなことでもなければ不利になるとは思えません。それに、みんなガマンしすぎだと思いますよ。「理不尽だ」と思うことがあるなら、ガマンせず改善を主張することです。「その主張を受け入れてもらえないなら、辞表をたたきつけてやる」。みんながそんな気持ちでいれば、実際に転職しなくても、この世からブラック企業なんて消えてなくなる。

 私自身はガマンしない性格だと思います。たとえば、新卒入社した会社に「プログラマーでもスーツを着て出勤すること」というルールがあった。顧客と接することはないのに。高いスーツを買って、イスですり減らすだけ。どう考えてもおかしい。

 それで、たまたまオフィスを掃除する日があって、そのときだけは汚れてもいいようにみんなカジュアルな服装で出勤したんです。翌日からほかのみんなはスーツに戻ったんですが、私だけはそれからずっと、カジュアル姿で通勤しました。

―「協調性がない」と、怒られませんでしたか。

 いいえ。だれもなんにもいいませんでしたね。もっとも、追随してくれる仲間もあまりいませんでしたが(笑)。でも、私は自分がマイノリティであることを気にしないタイプ。子どものころからそうでした。

 なにしろ私が子どもだったころは、パソコンがある家庭なんてほとんどない時代。たまたま私は、父が仕事に使うつもりで買ったポケットコンピュータを強引に自分のモノにしてしまい(笑)、その世界に興味をもった。けれど、ほかにコンピュータに興味がある友だちなんていません。でも、そこで「自分の興味はわきにおいて、多数派にあわせよう」とは思いませんでした。

 コンピュータから、そのコンピュータを思い通りに動かすプログラミング言語へと興味が移り、高校生のころには「新しい言語を自分でつくりたい」と思うようになりました。その後、大学で必要な知識を得て、社会人になって開発できる環境も整った。そこで高校生のころからの夢の実現に着手。それがみのり、30歳のときにRubyを公開できたのです。

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